このブログを書いている人|九重ユウト プロフィール
はじめまして。
『アニメのあとで、ちょっとだけ話そう。』を運営している、九重ユウト(Kokonoe Yuto)と申します。
このブログでは、アニメを観終えた“そのあと”に生まれる気持ち──
たとえば、「あの表情、どうしてあんなふうに見えたんだろう」とか、
「どうして、あのセリフにだけ涙が出てしまったのか」みたいな、
“答えのない感情”に、そっと名前をつけるような文章を書いています。
アニメって、ストーリーを追うだけじゃなくて、
“観ていたときの自分”も一緒に映し出してくれるものだと思うんです。
だから僕は、その「余韻」にこそ物語の本質があると信じています。
アニメの「語り手」になった理由
もともとは、小さな出版社で編集の仕事をしていました。
書籍や雑誌の企画を考えたり、原稿に赤を入れたり──
「言葉を届ける」ことに関わる日々は、やりがいもあったし、誇りも持っていました。
でも、心のどこかでずっと、
“誰かの言葉”ではなく、“自分の感情”を語りたいという想いを抱えていたんです。
ある日、深夜に観たアニメのワンシーンが、胸に刺さって離れませんでした。
「どうしてこんなに涙が出るんだろう?」
気づいたら、その感情の理由をノートに書き出していて──
それが、僕の“語り手としての始まり”でした。
好きな作品を、ちゃんと“守れる言葉”で語りたい。
誰かの「わからない」を、「わかるかも」に変える文章を書きたい──
そう思って、編集者からライターへと道を変えました。
僕にとって、アニメとは“記憶の鏡”です
青春の痛み、選ばれなかった選択、
声にならなかった「ありがとう」や「ごめんね」──
アニメのワンシーンには、そんな“気持ちの断片”が詰まっています。
僕はこれまでに、月に新旧あわせて100本以上のアニメ作品を観ています。
リアルタイム放送だけでなく、過去作の一気見やおすすめタイトルの再視聴も含め、
気になった作品は1話ごとにノートを取りながらじっくり追いかけています。
演出の意図、キャラクターの迷い、“物語の時間が積み重なる順序”──
「どうしてここで泣いたんだろう?」という問いに、じっくり向き合う考察が、日々の習慣になりました。
観るたびに、自分の中の何かが少しずつ変わっていくような。
誰かの物語を借りて、自分を知っていくような──
そんな感覚を、文章に残しておきたくて、このブログを続けています。
言葉にならなかった気持ちに、そっと光をあてる
このブログのモットーは、
「感情は、流れを持つ。物語はその“かたち”を映す鏡だ。」
- 沈黙の意味を考える
- 言えなかった言葉の重さを想像する
- 選ばなかった選択に、どんな祈りが込められていたのかを掘る
そんな視点で、アニメと“もう一度向き合う時間”を届けられたらと思っています。
九重ユウトという人
- 名前: 九重ユウト(Kokonoe Yuto)
- 年齢: 38歳
- 居住地: 神奈川県・逗子
- 職業: アニメ構造研究家/感情を言葉にするライター
- 得意分野: 心理描写の深掘り/物語構造の読解/伏線と回収の解説/“好き”の余韻を残す言葉づくり
- 主な活動:
・ブログ『アニメのあとで、ちょっとだけ話そう。』運営
・アニメレビュー記事・感情解説コラムの執筆
今後は、音声配信や動画でも「語り」を広げていけたらと準備中です。
大切にしている一文
「泣いた理由がわからなかった。でも、確かに、心が動いた。それだけで十分なんだと思う。」
この言葉が、僕の原点です。
答えがなくても、その感情は“ほんもの”だった。
そう信じられる場所でありたいと、願っています。
最後に
『アニメのあとで、ちょっとだけ話そう。』は、
“作品を観終えたあと”の、心の余韻と静かな対話の場です。
「この気持ち、何だったんだろう?」と、
ふと立ち止まったときに開いてもらえるブログを目指しています。
ここで出会った言葉たちが、
あなたの中にある“あの気持ち”の記憶と、どこかで重なりますように。
これからも、どうぞよろしくお願いいたします。