それ、気になってたんですよね。
アニメ『ダンダダン』第18話で流れた劇中歌「Hunting Soul」に、YOSHIKIさんが「X JAPANに似てない?」とSNSで反応。
ほんの一言のはずが、ファンの間で波紋を広げ、ついには弁護士や関係者まで巻き込む事態に──。
今回は、この騒動の経緯と背景、そしてファン心理の揺れを、僕なりの“感情設計”で読み解いてみます。
✔️対象楽曲: 『Hunting Soul』(アニメ『ダンダダン』劇中歌)
✔️争点: 著作権侵害の可能性、楽曲の類似性
✔️関係者: YOSHIKI、制作側、弁護士
✔️時期: 2025年8月、第18話放送後
騒動の経緯と時系列
出典:YouTube(MBSanimation 公式チャンネル)
正直、僕も最初は「似てる?」くらいの軽い話だと思ってました。
だって、音楽の世界ってコード進行や雰囲気が似ちゃうこと、わりとあるじゃないですか。──いや
ほんと、カラオケで別の曲歌ってるのにサビで「あれ?」ってなる現象、ありますよね。
でも今回、事態はちょっと違いました。YOSHIKIという、日本ロック界の象徴が関わった瞬間から、一気に空気が張りつめたんです。
あの一言から始まった
何これ、 XJAPANに聞こえない?
What’s this.. Doesn’t that sound like X JAPAN?😱#YOSHIKI#Dandadan ? https://t.co/jbxzkWNSW4— Yoshiki (@YoshikiOfficial) August 8, 2025
ね、これも今気づいたけど、この映像、首にコルセットつけてる。やっぱりこのドラマー、俺かな?
よく「コルセットはファッションの一部」とか言われるけど、実は医療目的でつけている。#YOSHIKI @DandadanTV @animeDANDADANen @NetflixAnime@XJapanOfficial @Yoshiki_Staff#dandadan #紅… https://t.co/n5xAqUb4te— Yoshiki (@YoshikiOfficial) August 9, 2025
8月上旬。YOSHIKIがSNSで、アニメ『ダンダダン』の劇中歌「Hunting Soul」を聴き、「X JAPANに似てない?」と投稿。
言葉に強い断定はなかったんですが、“あのYOSHIKIが”という重みが、そのまま拡散力になってしまった。
ファンは二分されました。
「確かに似てる」「全然そうは思わない」──タイムラインには感情の温度差が混ざり合って、まるでライブ会場のアンコール前みたいなざわめきに。
弁護士も動く
最初これを知った時は、なんだか面白くて笑っていたら、弁護士達からも連絡がきた😱
著作権侵害の可能性があるとのことで、どうなるのだろね🤔
みなさん、この手のものは、多分先に関係者へ連絡した方がいいみたいだよ#YOSHIKI@DandadanTV @animeDANDADANen @netflix@hulu @XJapanOfficial…— Yoshiki (@YoshikiOfficial) August 8, 2025
さらに事態が動いたのは、著作権侵害の可能性をめぐって弁護士が関与していると報じられたこと。
ここで一気に、ネットの“推測遊び”が現実の法的プロセスに近づいたわけです。
YOSHIKI本人はその後、「関係者間で話し合いが行われる」と説明し、ファンや制作側への配慮も見せました。
──こういう時に「お騒がせしてごめんなさい」と素直に言える人、なかなかいないんですよね。
今回の件、急に連絡が来て驚いて、つい呟いちゃいました。お騒がせしてすみません。
ごめんなさい。#YOSHIKI @DandadanTV @animeDANDADANen @NetflixAnime@XJapanOfficial @Yoshiki_Staff#dandadan #紅 #Kurenai #XJAPAN https://t.co/T4BpODxXPa https://t.co/tR9jiqSmkv— Yoshiki (@YoshikiOfficial) August 9, 2025
この続きでは、なぜここまで話が広がったのか──その背景にある感情と文化の構造を、少し深掘りしていきます。
2. なぜここまで広がったのか?
似ているかどうか──それ自体は、ある意味で主観の世界です。
でも今回の件は、ただの「似てるね」談義で終わらず、瞬く間に大きな騒動に発展しました。
背景には、ネット文化特有の拡散速度と、音楽・アニメファンの“熱量”が掛け合わさった事情があると思うんです。
似ている、という曖昧な感覚
人って「どこかで聞いたことがある」感覚に、とても敏感です。
しかもそれを、有名アーティストが公の場で言葉にすると──その曖昧さは、一瞬で議論の燃料になる。
「たしかに!」という共感と、「いやいや、全然違うでしょ」という反論。
この相反する感情がタイムライン上で交差して、さらに加速していきました。
制作側の“真剣なふざけ”
後日、『ダンダダン』の制作関係者は、今回の楽曲について「真面目にふざける」という作品らしいコンセプトで演出したとコメントしています。
谷山紀章コメント
Q1. 本作の魅力をお聞かせいただけますでしょうか。
ギャグとシリアスのバランス感覚が抜群の大人気漫画が原作。
当然のようにアニメ化の話に流れる訳でこの際、
相当なプレッシャーと高いハードルを、
意識せざるを得なかったと思うのですが、
易々とそれらを跳ね返して超えている所が魅力的で、
スベッてない感じがステキです。Q2. HAYASiiとして「Hunting Soul」を歌唱された感想をいただけますでしょうか。
真面目にふざけるとでも言うんですかね、
オマージュやパロディーってやる側がヘラヘラやっちゃうと、
受ける側には伝わっちゃって醒めるんですよね。
本気でやるから笑ったりして貰えるものなので、
この度のコレは音楽制作から歌唱まで、
ある種の意図に沿って手応えを感じられるものになったと、
おそらく一同自負してます。
とりあえず自分にできる事はやったので、
あとは皆さん精々面白がってみてください。
意図的なオマージュなのか、ジャンルの特性による偶然の一致なのか──その境界線はあいまいですが、作り手にとっても一つの「遊び心」であったことは間違いありません。
…いやほんと、こういうところがアニメ制作の面白さであり、時に誤解を生む原因でもあるんですよね。
ファンの複雑な感情
ここが一番面白くて、そして切ない部分です。
『ダンダダン』を愛している人も、X JAPANやYOSHIKIを敬愛している人も──どちらのファンも、少なからずこの件に心を揺らされました。
「好きなアニメを守りたい気持ち」と、「憧れのアーティストを信じたい気持ち」。
SNSでは「弁護士って…ちょっと…」と落胆する声もあれば、「双方のファンが争わないでほしい」という願いも見られました。
その二つがぶつかる瞬間、人はとても複雑な表情を見せます。
SNS見てると“応援の仕方”が人によって全然違ってて、ちょっと人間ドラマを見てる気分になりました。
音楽的な比較と著作権の境界
さて、「似ている」という感覚を法律がどう扱うのか。
ここからは少し、音楽と著作権の話に足を踏み入れてみます。
法律は感情ほど曖昧ではなく、著作権侵害の判断には明確な基準があります。
法的にはどこまでが「似ている」?
著作権法上、「創作性の本質的部分が同一である」ことが侵害の判断基準です。
つまり、ちょっと似たメロディやコード進行だけでは足りず、その曲の個性や核となる要素がコピーされている必要があるんです。
…まあ、言うは易しで、実際の判断はかなり難しいんですけどね。
作り手の視点から見る類似性
今回の場合、Hunting SoulとX JAPANの楽曲の共通点として挙げられているのは、
・コード進行の流れ
・メロディの上昇と下降のパターン
・疾走感のあるテンポ感
といった要素です。
ただし、こうした特徴はロックやアニメ音楽のジャンル特性としてもよくあるため、単純比較では判断できません。
制作陣も「曲のノリや勢いは作品に合わせた結果」と説明しており、意図的な模倣ではなく作風の一部と捉える意見も多くあります。
──この辺り、作曲経験がある人なら「まあ似るときは似るよね」と思う部分かもしれません。
ファンの“音の聞こえ方”の違い
面白いのは、同じ曲を聴いても感じ方がまったく違うことです。
「イントロで鳥肌立った、完全にX JAPANだと思った」という人もいれば、「全然別物、むしろ別のバンドっぽい」と話す人も。
感覚の差は、音楽との付き合い方や思い出の量で変わるんですよね。
同じ曲でここまで意見が割れるのは、もはや文化現象です。
今後の展開とファン心理
この件は、まだ完全な決着がついたわけではありません。
YOSHIKIさんも「関係者間で話し合いが行われる」とコメントしており、制作側からの公式な声明も今後出てくる可能性があります。
では、ファンはこの先どう向き合っていくのか──そこに、この騒動の“物語”があると思うんです。
「好き」が壊れないために
ファンの本音は、きっとこうです。
「どちらかを否定したいわけじゃない。ただ、好きなものを嫌いになりたくない」。
だからこそ、SNS上でも“争い”よりも“静観”を選ぶ人が増えている印象があります。
一方で、「弁護士」というワードが出た瞬間に一歩引いたという声も多く、
「これ、作品の空気まで壊しちゃうのでは…」という不安も広がりました。
…いや、もちろん一部ではまだ熱い議論が続いてますけどね。人間、感情スイッチ入ると止まらないもんです。
それでも物語は続く
アニメ『ダンダダン』は、この騒動の後も物語が続きます。
そして音楽もまた、ファンと共に生きていきます。
どちらも“文化”として残る以上、今回の出来事もその歴史の一部になるでしょう。
制作陣も「この騒動で作品を嫌いにならないでほしい」との思いを語っており、
数年後、「あの時こんなことあったね」と笑い話にできる日が来るかもしれません。
その時まで、この作品と音楽が穏やかに共存できることを願いたいです。
まとめ
今回の「YOSHIKI × ダンダダン」騒動は、単なる楽曲の似ている・似ていない論争を超えて、
ファンの愛情、文化の交差点、そしてSNS時代ならではの拡散構造を見せてくれました。
著作権というルールと、作品を愛する気持ち──その両方がぶつかり合った時、私たちは何を選ぶのか。
正解は一つではないと思います。
でも、一つだけ確かなのは、「好き」という感情はとても強くて、そして時に脆いということ。
制作側の遊び心とファンの思い入れ、その間に生まれた今回の“既視感”は、
これからも語られる小さな文化史の1ページになるはずです。
あなたは、この一連のやりとりをどう感じましたか?
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