それ、気になってたんですよね。
『光が死んだ夏』って、BLなんですか?っていう、あの問い。
最初にそのタイトルを見たとき、僕も思いました。「なんだか、じわっとエモそうだな…」って。
で、いざ読んでみると──いやもう、案の定ざわつきました。心が。
恋愛とはちょっと違う。友情って言うには、あまりにも切実で。
でも「これはBLです!」と断言するには、決定打がなさすぎる…そんな、名前のつけにくい感情が詰まってるんですよね。
今回は、「BLじゃないけどBLっぽい」と言われる理由について、あの作品が抱えてる“感情のゆらぎ”を、そっと言葉にしてみます。
たぶん、言葉にすることで、あのざわざわの正体が見えてくる気がするんです。
✔️BL要素の有無: 明確な恋愛・キス描写はなし。ただし、読者の間で“BLっぽさ”が話題に。
✔️感じ方の自由: 「友情」「執着」「ブロマンス」など、関係性の解釈は読み手に委ねられています。
✔️ざわつきの理由: 言葉にしづらい感情表現と、“描かれない”演出が心を揺らす仕掛けに。
ジャンルの境界線で揺れる読者の心
ホラーと銘打たれているのに、読み終わったあとに心に残るのは“切なさ”。そして、多くの人が感じている「これってBLなのでは?」という疑問。その理由を、まずはジャンルの視点から整理してみましょう。
“ホラー”という名のラベルでは足りない理由
『光が死んだ夏』のジャンル、公式には「青春ホラー」ってことになってるんです。
田舎の集落、異物感、静けさと死の匂い──たしかに、そう言われればホラーなんですよ。
でもね、それだけで済ませられない感情が残る。
“ホラーだけど切ない”とか、“怖いのに優しい”とか、そんな言葉が読み終わったあとに浮かぶんです。
ジャンルって、本来は“棚に並べるための便利な名前”なんですけどね。
この作品は、その棚からはみ出してる。いい意味で。
読者の目に留まる“BLっぽさ”のヒントたち
ちょっと調べてみると、「BL」「友情」「距離感」「キスシーン」「ブロマンス」「執着」…
もう、あちこちで見かけるキーワードが、完全に“BLあるある”なんですよね。
特に「キスシーン」は注目度が高くて、「え、描かれてないのにこんなに刺さるの?」「むしろ描かれないから余計に…」という声がちらほら。
…わかる。描写がなくても、“気配”ってあるんですよね、感情には。
友情?それとも執着?──二人の関係に名前はあるのか
ホラーと銘打たれているのに、読み終わったあとに心に残るのは“切なさ”。そして、多くの人が感じている「これってBLなのでは?」という疑問。その理由を、まずはジャンルの視点から整理してみましょう。
“ただの親友”で片付けたくない理由
ヒカルとよしき、昔からの幼なじみ。
でも、あの関係性を「親友」ってひと言で済ませるには、ちょっと抵抗があるんです。
だって、よしきの想いって、明らかに“ただの友達”以上じゃないですか。
本物じゃないってわかってるのに、それでも一緒にいたいって──あれ、愛着というか…執着に近いんじゃないかなと。
いやほんと、それってもう恋じゃんって言いたくなるんですけど、
そこを明言しないからこそ、この作品は“ざわつき”を生むんですよね。
恋じゃないけど、確かに“特別”な想い
読者の中には「これは恋愛感情」と断言する人もいれば、
「いや、あくまで友情の延長線上」と捉える人もいる。
その解釈の幅が、この作品の“受け取り方の自由”を物語っている気がします。
たぶん、「定義できない感情」って、それだけで力があるんですよ。
描かれないからこそ、見えてくる感情
この作品には、はっきりとした恋愛描写がありません。それでも、「ある」と感じてしまう読者が多いのはなぜなのか。描かれないからこそ心に残る、“感情の演出”に注目してみましょう。
キスしないのに、心が揺れる理由
キスシーン、ないんですよね。
でも読んでると、「そこにあるかもしれない」って思ってしまう。
なんなら、「なかったのに、なぜか心が騒いだ」って読者も多いはず。
それってたぶん、“言葉にならない感情”の演出がうまいんですよ。
静かな空気、間のとり方、視線の動き──そこに読者の想像が忍び込む余地がある。
…そういう余白の演出、個人的にはめちゃくちゃ好きです。
“ナニカ”とよしきの関係性は、どこか祈りに似ている
“ナニカ”という、名前も正体もわからない存在。
彼が「ヒカル」を模して、よしきと関わろうとする姿には、どこかいびつで──でも、切実な想いがある。
化け物でありながら、誰かにとっての“寄り添う存在”になるって、
それはもう、祈りのかたちに近いのかもしれません。
“ジャンル”よりも、“感じたこと”を信じていい
読者によって解釈が分かれる作品だからこそ、「自分の感じたことは正しいのか」と迷ってしまう人もいるかもしれません。でも、この作品が本当に伝えようとしているのは、“感じ方の自由”なのだと思うのです。
人によって“違っていい”読後感
SNSでは「これはBLだ」「いや、違う」といった声が飛び交っていて──
いやほんと、どっちでもいいと思うんですよ。いや、投げやりじゃなくてね。
大事なのは、「あなたの心が、どこで揺れたか」。
そこに、この作品の本質がある気がするんです。
作り手がくれた“余白”を楽しむ読者へ
作者・モクモクれんさんも、「これは恋愛ではない」と明言しつつ、
「どう受け取るかは、読者次第」と語っています。
この“解釈の自由”こそが、この作品の醍醐味なんじゃないかと。
定義できないからこそ、人の数だけ「好き」のかたちがある──そんな読書体験、ちょっとよくないですか?
まとめ|“ざわつき”は、感情の残響です
『光が死んだ夏』を読み終えたあと、心の奥にひっかかる“ざわざわ”。
それって、はっきりと「好き」とか「泣いた」とか言えない種類の感情なんですよね。
でも、僕はそこにこそ、この作品の“凄み”があると思うんです。
ホラー?青春?BL?──いろんなジャンル名が飛び交うけど、
この物語が本当に描いているのは、きっと「名前がつかない関係性」や「名指ししづらい想い」なんだと思います。
ヒカルとよしきのあの距離感。
近いようで遠くて、触れそうで触れられない。
言葉にできない想いを“そっと置いていくような描写”の連続に、僕らは勝手に感情を重ねて、気づいたら揺さぶられてる。
しかもその感情って、ジャンルという“棚”には収まりきらない。
だからこそ、人によって“恋愛”にも“友情”にも“執着”にも見える。
…いやほんと、どれでも間違いじゃないんですよ。
この作品のいちばん素敵なところは、「あなたは、どう思いましたか?」って問いかけのまま終わってくれることだと思ってます。
そしてそれって、読者の中に物語が“生き続ける余白”を残してくれるってことでもある。
読後にざわつくのは、感情が「名前をつけられないまま、でも確かにそこにある」って教えてくれてる証拠。
ラベルじゃなく、感覚で読む作品──『光が死んだ夏』は、そんな風に読みたい一冊です。
さて、あなたは──この物語に、どんな名前をつけますか?
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