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『逃げ上手の若君』北条時行とは?主人公の人物像と史実を紹介

逃げ上手の若君

『逃げ上手の若君』の北条時行は、争いを好まない優しい性格と並外れた逃走能力を持ち、滅亡した北条家の再興と鎌倉奪還を目指す主人公だ。

史実でも北条高時の遺児として中先代の乱の旗頭となった実在人物だが、年齢や生涯の細部には史料によって異なる見方がある。

いやもう、「敵を倒す」のではなく「勝つまで逃げる」少年が歴史の主役になるんだぞ。

北条時行はどんな性格なのか、なぜ逃げる能力を持つのか、諏訪頼重や逃若党とどのような関係なのか。さらに、史実の中先代の乱や南朝方での戦い、作品と史実の違いまで整理して紹介する。

  1. 『逃げ上手の若君』北条時行とはどんな主人公?
    1. 『逃げ上手の若君』北条時行の基本プロフィール
    2. 『逃げ上手の若君』北条時行の作品設定と史実の違い
  2. 『逃げ上手の若君』北条時行の性格と逃げる能力は?
    1. 『逃げ上手の若君』北条時行は鎌倉を愛する優しい少年
    2. 『逃げ上手の若君』北条時行が逃げる理由
    3. 『逃げ上手の若君』北条時行の逃走・回避・潜伏能力
    4. 『逃げ上手の若君』北条時行は弓術でも成長する
  3. 『逃げ上手の若君』北条時行と諏訪頼重・逃若党の関係は?
    1. 『逃げ上手の若君』北条時行を救った諏訪頼重
    2. 『逃げ上手の若君』北条時行を支える逃若党
  4. 『逃げ上手の若君』北条時行の史実では何があった?
    1. 史実の北条時行は北条高時の遺児
    2. 史実の北条時行と1333年の鎌倉幕府滅亡
    3. 史実の北条時行が起こした中先代の乱
    4. 史実の北条時行はなぜ鎌倉を維持できなかった?
  5. 『逃げ上手の若君』北条時行は史実で3度鎌倉へ戻った?
    1. 史実の北条時行が南朝方へ加わった背景
    2. 史実の北条時行と1337年の鎌倉進攻
    3. 史実の北条時行と1352年の武蔵野合戦
    4. 史実の北条時行の最期
  6. 『逃げ上手の若君』北条時行はなぜ現代の読者に刺さる?
    1. 『逃げ上手の若君』北条時行は弱者の戦略を体現する
    2. 『逃げ上手の若君』北条時行と足利尊氏の対比
    3. 『逃げ上手の若君』北条時行は歴史の敗者なのか
  7. 『逃げ上手の若君』北条時行のよくある質問
  8. 『逃げ上手の若君』北条時行の人物像と史実まとめ
  9. シリーズ記事まとめ

『逃げ上手の若君』北条時行とはどんな主人公?

『逃げ上手の若君』の北条時行は、鎌倉幕府の実権を握った北条得宗家に生まれながら、地位や権力に執着しない少年だ。

武芸全般を得意とするわけではないが、逃走・回避・潜伏では大人でも捕まえられないほどの才能を発揮する。

TVアニメ公式サイトでは、北条時行について、地位や権力に関心がなく、争いを好まない優しい性格の持ち主と紹介されている。アニメ版の声優は結川あさきだ。

物語の序盤、時行は幕府方から後醍醐天皇方へ転じた足利高氏の軍事行動によって、故郷の鎌倉と家族を失う。

作中の時行にとって高氏は、かつて尊敬していた英雄でもあった。その人物が北条家を滅ぼす側へ回ったことで、憧れの存在は倒すべき強敵へ変わっていく。

ここ、マジで残酷なんだよ。

昨日までまぶしく見えていた英雄が、翌日には自分の世界を焼き払う側に立っている。時行の戦いは、単なる領地争いではなく、失った日常と自分自身を取り戻す戦いでもある。

『逃げ上手の若君』北条時行の基本プロフィール

作品内の北条時行を理解するうえで、押さえておきたい要点は次のとおりだ。

  • 名前:北条時行
  • 読み方:ほうじょう ときゆき
  • 父:北条高時
  • 立場:鎌倉幕府を支配した北条得宗家の少年
  • 性格:優しく無欲で、争いを好まない
  • 得意分野:逃走、回避、潜伏
  • 目標:生き延びて力を蓄え、鎌倉を奪還する
  • 主な支援者:諏訪頼重、逃若党
  • アニメ版声優:結川あさき
  • 主な敵:足利高氏を中心とする足利方

アニメや漫画では、時行は幕府の後継者に近い立場として描かれている。

ただし、史実における北条時行の家族関係や出生順には史料や系図による異同があるため、「北条高時の次男」「正統な後継者」といった説明は、作品設定と歴史研究上の整理を分けて考えたほうがいい。

『逃げ上手の若君』北条時行の作品設定と史実の違い

作品の北条時行と史実で確認できる北条時行には、次のような違いがある。

項目『逃げ上手の若君』の北条時行史実で確認できる北条時行
性格優しく無欲で争いを好まない詳細な性格は史料から断定できない
特技逃走、回避、潜伏に天才的長期間生き残った事実はあるが、身体能力は不明
年齢物語開始時は8歳として描写生年には諸説があり正確な年齢は不明
仲間逃若党の仲間と行動する諏訪氏など多くの支援者がいた
鎌倉奪還時行自身の成長物語として描く時行を旗頭とする軍勢や南朝軍が鎌倉へ進攻した

作品は歴史上の出来事を土台にしつつ、史料に残りにくい感情や日常、人間関係を大胆に補っている。

つまり『逃げ上手の若君』の北条時行は、史実をそのまま映した人物ではない。歴史に残る「何度敗れても生き延びた軌跡」を、逃げる天才という主人公像へ再構成した存在なんだ。

『逃げ上手の若君』北条時行の性格と逃げる能力は?

『逃げ上手の若君』の北条時行は、臆病だから逃げるのではない。

生き残るべき場面を見極め、敵の攻撃をかわし、仲間とともに次の機会へつなげるために逃げる主人公だ。

『逃げ上手の若君』北条時行は鎌倉を愛する優しい少年

北条時行は、権力者になること自体に強い関心を持っていない。

彼が好んでいたのは、鎌倉の町で人々が穏やかに暮らす光景だ。だから鎌倉を取り戻したいという願いも、北条家の権威や領土だけを求めるものではない。

時行が奪われたのは、父や兄、一族だけではなかった。

見慣れた町並み、身近な人々、昨日まで続くと思っていた日常。そのすべてを一度に失ったからこそ、時行は鎌倉へ帰ることを目指す。

俺はここが、時行を単純な復讐者にしない重要な部分だと考えている。

敵への憎しみだけで走るのではなく、愛していた場所へ帰りたいという願いが中心にある。その切実さが、歴史上の反乱を少年の物語として身近に感じさせるんだ。

『逃げ上手の若君』北条時行が逃げる理由

北条時行にとって逃亡は、戦いを放棄する行為ではない。

その場で勝てないなら生き延び、仲間を集め、情報を得て、勝てる状況を作り直す。逃げることが次の反撃まで含めた戦術になっている。

当時の軍記物語では、名誉を守って討ち死にする武士が称賛されることも多い。

一方の時行は、生きて目的を果たす道を選ぶ。ここに『逃げ上手の若君』ならではの英雄像がある。

逃げることは、未来の選択肢を残すことだ。

この考え方、現代を生きるみんなにも刺さるだろ?

正面突破だけが勇気ではない。勝ち目のない場所から離れることも、自分や仲間を守るための立派な判断になる。

『逃げ上手の若君』北条時行の逃走・回避・潜伏能力

時行の逃げる才能は、大きく三つに分けられる。

  • 追手との距離を広げる逃走能力
  • 敵の攻撃や進路を見切る回避能力
  • 建物や地形を利用して姿を消す潜伏能力

時行は、ただ足が速いだけではない。

相手の視線、攻撃の向き、人数、地形を瞬時に読み取り、敵が最も嫌がる方向へ動く。囲まれた状況でも攻撃の隙間を縫い、相手の隊列を乱していく。

剣豪が「斬る天才」なら、時行は「斬らせない天才」だ。

いやもう、敵から見れば悪夢だぞ。

目の前にいるのに攻撃が当たらない。追い詰めたと思った瞬間には別の場所へ抜けている。時行は逃げながら戦場全体を動かし、味方が戦いやすい状況まで作ってしまう。

『逃げ上手の若君』北条時行は弓術でも成長する

時行は剣や槍で相手を圧倒する武将ではないが、物語の中で弓術を学び、自分に合った攻撃方法を身につけていく。

その成長に関わる重要人物が、信濃守護の小笠原貞宗だ。

貞宗は優れた視力と観察眼を持つ弓の名手で、時行たちの前に敵として立ちはだかる。一方で、時行は貞宗との対決を通して、相手の技術や考え方を吸収していく。

不得意な剣術を無理に極めるのではなく、逃走能力と相性のよい弓を伸ばす。

これは単なる修行イベントではない。自分の弱点を消すより、強みを組み合わせて勝ち筋を作るという、松井優征作品らしい戦略的な成長だと俺は感じる。

『逃げ上手の若君』北条時行と諏訪頼重・逃若党の関係は?

『逃げ上手の若君』の北条時行は、諏訪頼重に救われ、逃若党の仲間に支えられながら鎌倉奪還への道を進む。

時行の逃走能力だけでは軍勢を動かせないからこそ、異なる特技を持つ仲間との連携が重要になる。

※画像はAIによるイメージ

『逃げ上手の若君』北条時行を救った諏訪頼重

諏訪頼重は、信濃国の諏訪大社を治める諏訪氏の当主として登場する。

作中では、人でありながら神として信仰される「現人神」で、未来を見る力を持つ人物だ。予言には曖昧な部分もあり、威厳と胡散臭さを同時に漂わせている。

頼重は鎌倉幕府滅亡の混乱から時行を救い、信濃の諏訪へ連れていく。

そして、時行自身が欠点だと思っていた逃げる能力を、乱世を変えられる才能として評価した。

この出会いがなければ、時行は北条家と運命をともにしていた可能性もある。

頼重は命を救った保護者であると同時に、時行の価値観を反転させた指導者なんだ。

『逃げ上手の若君』北条時行を支える逃若党

北条時行の郎党である逃若党には、異なる能力を持つ少年少女が集まる。

雫は諏訪大社の巫女として判断や後方支援を担い、弧次郎は剣術、亜也子は怪力を生かして前線で戦う。風間玄蕃は変装と情報収集を得意とし、吹雪は軍略と戦闘の両面から一行を支える。

一人ひとりを詳しく見ると個性の塊だが、時行との関係で重要なのは、単なる命令者と部下ではないことだ。

時行は仲間の能力を信頼し、自分だけが生き残ればよいとは考えない。逃げる場面でも、できる限り仲間とともに帰還しようとする。

逃げる若君だからこそ、仲間を死なせる勝利を簡単には選ばない。

俺はこの姿勢が、時行を主君として成長させる軸だと考えている。

史実でも、幼い北条時行が単独で軍勢を動かしたとは考えにくい。諏訪氏をはじめ、北条得宗家の権威を必要とした武士や旧幕府関係者の支援があってこそ、中先代の乱は大規模な軍事行動になった。

逃若党は創作上の人物を含むが、歴史書の記録から抜け落ちやすい支援者たちを、読者に見える形で象徴しているとも読める。

『逃げ上手の若君』北条時行の史実では何があった?

史実の北条時行は、鎌倉幕府滅亡後に信濃へ逃れ、1335年の中先代の乱で北条方の旗頭となった人物だ。

その後も反足利勢力として活動したとされるが、生年や年齢、個々の合戦への関与には史料上の不明点が残る。

史実の北条時行は北条高時の遺児

北条時行は、鎌倉幕府末期の得宗・北条高時の遺児として知られている。

得宗とは北条氏嫡流の当主を指し、鎌倉幕府の政治に大きな影響力を持った家系だ。

時行の生年は確定していない。

1320年代後半に生まれたとする説や、中先代の乱の時点で5歳から10歳ほどだったとする説明があり、正確な年齢を断定することは難しい。

幼名についても、勝長寿丸、勝寿丸、亀寿丸など複数の伝承がある。北条高時の次男とされることが多いものの、系図や史料の違いには注意が必要だ。

ここで重要なのは、本人の年齢以上に、北条得宗家の血を引く少年が生き残っていたことだ。

鎌倉幕府が滅びた後も、北条氏と結びついていた武士や旧幕府関係者は各地に残っていた。時行は、彼らを集める政治的な旗印になり得る存在だった。

史実の北条時行と1333年の鎌倉幕府滅亡

1331年に始まった元弘の乱では、鎌倉幕府と後醍醐天皇方が争った。

1333年、幕府方の有力武将だった足利高氏は後醍醐天皇方へ転じ、京都の六波羅探題を攻める。関東では新田義貞が鎌倉へ進攻し、北条高時をはじめとする北条一門の多くが自害した。

歴史的には、足利高氏の行動を単純に「裏切り」と断定するより、幕府方から後醍醐天皇方へ転じたと表現するほうが中立的だ。

一方、『逃げ上手の若君』では北条時行の視点から物語が描かれるため、高氏の離反が少年の世界を崩壊させた重大な裏切りとして表現されている。

時行は鎌倉を脱出し、北条氏と縁の深い諏訪氏が勢力を持つ信濃へ逃れたとされる。

この「北条高時の遺児が信濃で保護された」という歴史上の流れが、諏訪頼重との出会いや逃げる主人公という作品設定の土台になっている。

史実の北条時行が起こした中先代の乱

後醍醐天皇が始めた建武政権では、恩賞や所領をめぐる混乱もあり、すべての武士が新体制に満足していたわけではなかった。

1335年、北条時行は諏訪氏らに擁立され、信濃で挙兵する。これが中先代の乱だ。

挙兵した正確な日付や各戦闘の日程には史料による差があるものの、時行方は小笠原貞宗ら建武政権側の勢力を破り、信濃から関東へ進軍した。

さらに武蔵国で足利方の軍勢を破り、足利尊氏の弟・足利直義を鎌倉から退かせる。時行方が同年7月下旬に鎌倉へ入ったという流れは、一般的な歴史叙述でも共通している。

短期間で軍勢が拡大した背景には、北条氏の旧臣だけでなく、建武政権や新たな支配体制に不満を持つ東国武士が合流した可能性がある。

時行は幼い旗頭にすぎなかったと見ることもできる。

しかし、その少年の名前がなければ、立場も不満も異なる武士たちが一つの軍勢としてまとまることは難しかっただろう。

中先代の乱が示したのは、北条氏が滅亡しても、その政治的な記憶や人的なつながりまでは消えていなかったということだ。

史実の北条時行はなぜ鎌倉を維持できなかった?

北条時行方は鎌倉へ入ったが、その支配は長く続かなかった。

足利尊氏は時行討伐のため東国へ向かい、各地で時行方を破る。諏訪頼重らは鎌倉で自害したとされ、時行は再び逃亡した。

時行方が鎌倉を保持した期間は「約20日」と説明されることが多いが、起点と終点の取り方や史料上の日付には差がある。

そのため、厳密には1335年7月下旬から8月中旬ごろまでの短期間と捉えるのが安全だ。

また、暴風雨によって鎌倉大仏殿が倒壊し、避難していた兵が多数亡くなったという話も伝わっている。

ただし、この逸話は軍記物語などを通じて伝承された要素を含む。被害人数まで確実な史実として断定するのではなく、「そのように伝えられている」と扱う必要がある。

中先代の乱は軍事的には敗北した。

それでも、この乱を討つために東国へ向かった足利尊氏は、やがて後醍醐天皇の建武政権と対立していく。

北条時行の挙兵は、結果として建武政権と足利尊氏の関係が崩れる大きな契機にもなったんだ。

『逃げ上手の若君』北条時行は史実で3度鎌倉へ戻った?

北条時行は「生涯で3度鎌倉を奪還した武将」と紹介されることがある。

ただし、1337年と1352年については、時行個人が単独で鎌倉を奪ったのではなく、時行が参加したとされる南朝方の軍勢が鎌倉を占領したと慎重に表現したほうが正確だ。

史実の北条時行が南朝方へ加わった背景

中先代の乱の後、足利尊氏は後醍醐天皇と対立し、京都を中心とする北朝を支える立場となった。

後醍醐天皇は吉野へ移り、南朝を形成する。ここから朝廷が南北に分かれて争う南北朝時代が本格化した。

北条時行は、その後に南朝方へ加わったとされる。

北条氏を滅ぼした後醍醐天皇の側へ入るのは、現代の感覚では矛盾して見えるだろう。

しかし当時の政治状況では、敵と味方が固定されていたわけではない。足利尊氏と戦うため、時行が反足利勢力である南朝と結びついたと考えれば理解しやすい。

軍記物語『太平記』では、時行が北条氏から恩を受けながら離反した尊氏への怒りを持っていたという趣旨で描かれる。

ただし、『太平記』は文学的な脚色を含む軍記物語でもある。時行本人の心情をそのまま記録した証言ではない点には注意したい。

史実の北条時行と1337年の鎌倉進攻

1337年、南朝方の北畠顕家は奥州から西へ向けて軍を進めた。

この遠征には新田義興らも加わり、北条時行も連携したとされる。南朝方の軍勢は足利方と戦い、鎌倉を一時的に占領した。

一般向けには、これが北条時行にとって「2度目の鎌倉奪還」と数えられている。

ただし、最初の中先代の乱とは違い、北畠顕家を中心とする大規模な遠征軍の行動だった。

時行がどの部隊を率い、鎌倉占領にどこまで主体的に関与したのかは、史料から明確に復元できない部分もある。

それでも、北条氏を滅ぼした新田氏の一族と北条時行が同じ南朝方で戦ったとされる点は興味深い。

過去の因縁より、現在の敵である足利方への対抗を優先する。南北朝時代の複雑さが、この組み合わせに凝縮されている。

史実の北条時行と1352年の武蔵野合戦

1352年、室町幕府内部で起きた観応の擾乱による混乱を利用し、南朝方は京都と関東で攻勢を強めた。

関東では新田義興や新田義宗らが足利方と戦い、南朝方が一時的に鎌倉を占領する。

北条時行もこの軍事行動に参加したとされ、一般には「3度目の鎌倉入り」と数えられている。

ただし、ここでも鎌倉を制圧した主体は南朝方の連合軍だ。

「北条時行が一人で3度鎌倉を奪還した」と受け取れる表現ではなく、時行が関係した軍勢が3度にわたり鎌倉へ入ったとされると理解したほうが実態に近い。

時行にとって特別なのは、回数そのものだけではない。

1333年に北条氏が滅亡してから約20年近く、時行の名が反足利の戦いに現れ続けた点だ。

一度敗れた反乱者が、十数年後にも同じ故郷をめぐる戦場へ戻ってくる。

足利方から見れば、時行は何度追い払っても消えない、北条氏の記憶そのものだったのかもしれない。

史実の北条時行の最期

1352年の戦いで南朝方は鎌倉を長期間維持できず、足利方が関東で勢力を回復した。

北条時行はその後に捕らえられ、1353年5月20日に鎌倉近郊の龍ノ口で処刑されたと伝えられている。

この日付は『鶴岡社務記録』などを根拠に語られるが、現代の新暦へ換算した日付は換算方法による確認が必要になる。

生年が確定していないため、没年齢も断定できない。

20代半ばほどだったと推定されることはあるものの、「享年25」といった数字は一つの推定として見るべきだろう。

北条時行は最終的に北条政権を再建できなかった。

それでも、鎌倉幕府滅亡後も長期間にわたって反足利勢力として活動したとされる点は、日本中世史の中でも異例のしぶとさを感じさせる。

『逃げ上手の若君』北条時行はなぜ現代の読者に刺さる?

『逃げ上手の若君』の北条時行は、弱点を克服して一般的な英雄になる主人公ではない。

逃げるという自分の特性を磨き、それまでの英雄像そのものを書き換えていく。

『逃げ上手の若君』北条時行は弱者の戦略を体現する

多くの歴史作品では、強い武将が敵を倒し、領土を広げ、時代を動かしていく。

時行は逆だ。

正面から戦えば負ける。兵力でも経験でも足利方に及ばない。だから敵の得意な条件では戦わず、自分が生き残れる状況を作る。

これは松井優征作品に通じる「弱者が観察と工夫で強者の前提を崩す」構造とも重なる。

『暗殺教室』でも、単純な力では及ばない相手に対し、それぞれの個性や作戦を組み合わせることが重要だった。

『逃げ上手の若君』では、その戦略が日本中世史の実在人物へ接続されている。

時行の逃亡は、臆病さを克服する前段階ではない。最初から最後まで磨き続ける主力技能なんだ。

『逃げ上手の若君』北条時行と足利尊氏の対比

足利尊氏は、武力、家柄、人望を備え、多くの人間を引きつける英雄として描かれる。

対する時行は、武芸や政治を得意とせず、巨大な軍勢を一人で支配できる人物でもない。

尊氏が圧倒的な力で時代を作る側なら、時行は何度敗れても完全には消えない側だ。

支配する英雄と、生存する英雄。

この対比があるから、時行の逃走は単なるギャグや曲芸ではなく、尊氏の勝利を未完成にする抵抗になる。

時行が生きている限り、北条氏を倒しただけでは戦いが終わらない。

いやもう、天下を取った英雄と、歴史から消されることを拒む少年の追走劇なんだよ。

ここに『逃げ上手の若君』の熱さがある。

『逃げ上手の若君』北条時行は歴史の敗者なのか

個人的には、北条時行を最終的な勝敗だけで評価するべきではないと考えている。

室町幕府を成立させた足利尊氏と比べれば、時行は政権を作れず、最後は処刑された人物だ。

しかし、中先代の乱では北条氏の名のもとに武士が集まり、建武政権への不満が大規模な軍事行動として表面化した。

時行の存在は、鎌倉幕府が滅びた瞬間に旧体制への支持や人間関係まで消えたわけではないことを示している。

時行本人が卓越した軍事指導者だったかどうかは分からない。

それでも、北条高時の遺児という立場が人々を動かし、反足利勢力を結びつける象徴になったことには大きな意味がある。

『逃げ上手の若君』は、その政治的な象徴を、逃げる才能と仲間への優しさを持つ少年として描き直した。

だから俺たちは、教科書では数行で終わる中先代の乱を、恐怖や喪失、再起の物語として体感できるんだ。

『逃げ上手の若君』北条時行のよくある質問

北条時行の実在性や年齢、鎌倉へ戻った回数について、史実上の注意点を含めて整理する。

Q
『逃げ上手の若君』北条時行は実在した人物?
A

北条時行は実在したとされる武将だ。

鎌倉幕府末期の得宗・北条高時の遺児として、1335年の中先代の乱で旗頭となった。その後も南朝方に加わり、足利方と戦ったと伝えられている。

Q
『逃げ上手の若君』北条時行は何歳だった?
A

史実の北条時行の正確な生年は分かっていない。

中先代の乱の時点で5歳から10歳ほどだったとする複数の説明があり、作品では物語開始時の年齢が8歳に設定されている。

Q
史実の北条時行は鎌倉を何回奪還した?
A

一般には、中先代の乱を含めて「3度鎌倉を奪還した」と紹介される。

ただし、1337年と1352年は北条時行が参加したとされる南朝方の連合軍による鎌倉占領であり、時行個人の単独行動ではない。

Q
『逃げ上手の若君』北条時行の逃げる能力は史実?
A

史実の北条時行が、作中のような超人的な逃走・回避能力を持っていたと証明する記録はない。

一方、中先代の乱で敗れた後も長く活動したとされることから、危機を生き延びた史実上の軌跡が「逃げ上手」という創作につながったと考えられる。

『逃げ上手の若君』北条時行の人物像と史実まとめ

『逃げ上手の若君』の北条時行は、地位や権力を求めない優しい性格と、逃走・回避・潜伏に秀でた能力を持つ主人公だ。

鎌倉幕府滅亡によって家族と故郷を失い、諏訪頼重に救われる。雫、弧次郎、亜也子、風間玄蕃、吹雪ら逃若党とともに、生き延びながら鎌倉奪還を目指していく。

史実の北条時行も北条高時の遺児として信濃へ逃れ、1335年の中先代の乱で旗頭となった。

北条方は一時的に鎌倉へ入ったものの、足利尊氏の軍勢に敗れて撤退する。その後、時行は南朝方に加わり、1337年と1352年の鎌倉進攻にも関係したとされている。

ただし、生年や年齢、個々の戦いへの関与には不明点がある。

「3度鎌倉を奪還した」という有名な説明も、時行が参加したとされる軍勢の鎌倉占領を含めた数え方であり、史料上の留保を忘れてはいけない。

それでも、幕府滅亡後に長期間生き残り、北条氏の名を背負って足利方へ抵抗した人物であることは、時行の大きな特徴だ。

北条時行は、勝ち続けた英雄ではない。

敗れても生き残り、未来の選択肢をつなぎ、何度でも故郷を目指した英雄だ。

推しは推せるうちに推せ。

そして勝てない時は、生きて戻れ。『逃げ上手の若君』の北条時行は、物語が終わるのは負けた時ではなく、未来を手放した時なのだと教えてくれる。

神楽 颯|KAGURA-ROOM

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