『ふつつかな悪女ではございますが』の漫画は、2026年7月16日時点で第10巻まで発売中。最新10巻は2026年3月31日発売で、原作小説は第12巻まで刊行されています。
玲琳と慧月の身体が入れ替わる後宮ファンタジーを、尾羊英先生が表情豊かな漫画として描いた作品です。ここでは最新刊、連載状況、原作との違い、読む順番までまとめて解説します。
『ふつつかな悪女ではございますが』漫画は何巻まで発売中?
『ふつつかな悪女ではございますが』漫画版、まず一番知りたいところからいきます。単行本は第10巻まで発売されており、漫画第11巻の発売日は2026年7月16日時点で公式発表されていません。
いやもう、電子書店の分冊版を見て「100話以上あるのに、単行本は10巻なの?」と混乱した人もいるだろ。分冊版の話数と紙・電子の単行本巻数は、配信単位が違うため一致しない場合があります。
刊行状況を短く整理すると、次のとおりです。
一迅社の2026年3月発売カレンダーには、尾羊英先生による漫画第10巻と特装版が掲載されています。テレビアニメ公式サイトの書籍紹介でも、コミックスは第1巻から第10巻まで案内されています。
漫画最新10巻の発売日と内容
漫画最新10巻の発売日は、2026年3月31日です。
コミックを手がけるのは尾羊英先生、原作は中村颯希先生、キャラクター原案はゆき哉先生。通常版と特装版が同日に刊行されました。
第10巻では、玲琳と慧月が喧嘩別れした状態から物語が動きます。
雛女たちが妃選びの最終段階となる「終の儀」へ向けて準備を進める一方、玲琳にも新たな危機が迫る展開です。二人が入れ替わった直後とは違い、互いの弱さも強さも知った後だからこそ、すれ違いの痛みが重くなっています。
最初の頃は、玲琳の鋼メンタルが物語をブルドーザーのように押し進めていました。
しかし第10巻付近では、「分かり合えたはずの二人でも、相手を思う気持ちが強すぎれば衝突する」という段階へ進みます。ここまで追った読者ほど、喧嘩の一言一言が心臓へ刺さるんです。
漫画第11巻の発売予定
漫画第11巻の発売日は、2026年7月16日時点で一迅社の作品紹介や発売情報には掲載されていません。
連載自体は「ゼロサムオンライン」に作品ページがあり、『月刊コミックZERO-SUM』系の連載作品として公開が続いています。したがって、第10巻で完結したわけではなく、続刊を待つ段階と考えてよいでしょう。
ただし、未発表の発売日を過去の刊行間隔だけで断定するのは危険です。
雑誌掲載の進行、単行本作業、特装版の有無などによって時期は変わります。第11巻の発売日や予約開始については、一迅社や月刊コミックZERO-SUMの最新案内を確認してください。
『ふつつかな悪女ではございますが』漫画版とは?
『ふつつかな悪女ではございますが』漫画版は、中村颯希先生の小説を原作とする後宮入れ替わりファンタジーです。
正式タイトルは、『ふつつかな悪女ではございますが ~雛宮蝶鼠とりかえ伝~』。いやもう、タイトルは上品なのに、物語の初動は冤罪、転落、身体交換、処刑目前という高火力セットなんですよ。
作品の基本情報は以下のとおりです。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 漫画 | 尾羊英 |
| 原作 | 中村颯希 |
| キャラクター原案 | ゆき哉 |
| 出版社 | 一迅社 |
| レーベル | ZERO-SUMコミックス |
| 掲載媒体 | 月刊コミックZERO-SUM、ゼロサムオンライン |
| 漫画既刊 | 第10巻まで |
| 原作小説既刊 | 第12巻まで |
| 主な要素 | 後宮、身体の入れ替わり、陰謀、友情、成長 |
ゼロサムオンラインの作品紹介では、「殿下の胡蝶」と呼ばれる黄家の雛女・黄玲琳が、朱家の雛女・朱慧月によって身体を入れ替えられ、自分を襲った罪まで着せられる物語として案内されています。
漫画の舞台となる雛宮
漫画の舞台となる「雛宮」は、次代の妃候補となる少女たちが暮らす場所です。
有力な五つの家から選ばれた少女は「雛女」と呼ばれ、皇太子の妃となる立場を競いながら共同生活を送ります。美しい衣装と優雅な作法の裏側で、各家の期待や政治的な思惑が絡み合う空間です。
黄家の雛女・黄玲琳は、美しく聡明で、周囲から深く愛されてきました。
皇太子の妃に最も近い存在と見られ、華やかな姿から「殿下の胡蝶」と呼ばれています。一方の朱慧月は、人々から距離を置かれ、厳しい評判を背負っていました。
胡蝶と鼠姫。
この残酷な呼び分けだけでも、二人が外見や評判によって正反対の扱いを受けてきたことが分かります。
本作がうまいのは、玲琳と慧月の性格が違うだけでなく、周囲の人間が二人を見る目まで身体と一緒に交換されるところです。
同じ親切をしても、玲琳の顔なら称賛され、慧月の顔なら疑われる。
華やかな後宮を舞台にしながら、その内側では「人は本人を見ているのか、それとも肩書きと評判を見ているのか」という鋭い問いが走っています。
『ふつつかな悪女ではございますが』漫画のあらすじは?
『ふつつかな悪女ではございますが』の物語は、乞巧節の夜、玲琳と慧月の身体が入れ替わったことで始まります。
慧月の身体に入った玲琳は、元の玲琳を襲った犯人と見なされ、処刑目前へ追い込まれます。普通なら絶望で足元が崩れる場面です。
ところが玲琳は、慧月の健康な身体に感動します。
玲琳は幼い頃から虚弱体質で、自由に走ることも、周囲へ心配をかけずに好きなことへ挑戦することもできませんでした。そんな彼女にとって、慧月の丈夫な身体は人生で初めて手にした自由そのものです。
牢に入れられた。処刑を告げられた。周囲から敵意を向けられた。
それでも玲琳は、「健康な身体なら何ができるだろう」と前を向く。いやもう、逆境が玲琳を潰すどころか、玲琳の生命力に逆境のほうが押し返されていくんです。
テレビアニメ公式サイトでも、玲琳は虚弱体質でありながら、どんな困難にも挫けない鋼の精神を持つ人物として紹介されています。
玲琳が処刑されそうになる理由
玲琳が処刑されそうになるのは、慧月の身体へ入れ替えられたうえ、自分自身を襲った犯人として扱われるからです。
周囲の目に映る状況は単純です。
愛されてきた玲琳が倒れ、その近くには玲琳と対立していた慧月がいる。身体の入れ替わりを知らなければ、慧月が玲琳を襲ったと考えるのは不自然ではありません。
玲琳が「自分は玲琳だ」と訴えても、見た目も声も慧月です。
この構造、マジで逃げ道がない。
本作における身体交換は、二人が互いの生活を体験するだけの便利な仕掛けではありません。玲琳は慧月の身体を通して、慧月がそれまで向けられてきた嫌悪や偏見を直接浴びます。
どれほど誠実に振る舞っても、最初から悪意があると決めつけられる。
玲琳の姿を手にした慧月が尊敬や親切を受ける一方、玲琳は慧月の姿になっただけで疑われる。この落差によって、雛宮の人々が「行動」より「評判」を信じていた事実が見えてきます。
慧月が玲琳の身体で知る痛み
慧月は玲琳の身体を得れば、美貌、立場、愛情のすべてを手に入れられると考えていました。
ところが、玲琳の身体は想像以上に弱く、少し無理をしただけでも大きな負担がかかります。
周囲から見た玲琳は、優雅で穏やかに笑う完璧な少女でした。
しかし、その優雅さは苦痛がなかったから生まれたものではありません。痛みを周囲へ悟らせず、限られた体力の中で立ち続けていた結果です。
慧月は身体を通して、玲琳にも外からは見えない苦しみがあったと知ります。
一方、玲琳も慧月の姿で生活し、彼女がどれほど孤立していたのかを体験します。
ただし、本作は慧月が置かれてきた環境だけを理由に、彼女の行動をすべて正当化しません。
慧月が他人を傷つけ、玲琳の身体を奪った事実は残る。それでも過ちを認めた後、どのように行動を選び直すかまで描くからこそ、慧月の成長には重みがあります。
相手の痛みを知ったから、すべて許されるわけではない。知った後に何をするかが問われる。
俺は、この厳しさが『ふつつかな悪女ではございますが』を単純な善悪逆転ものにしていない理由だと考えています。
『ふつつかな悪女ではございますが』漫画と原作の違いは?
『ふつつかな悪女ではございますが』の漫画と原作小説は、基本設定と物語の大筋を共有しています。
大きな違いは、漫画が表情や構図で感情を見せるのに対し、原作小説は人物の内面や後宮の背景を文章で深く掘り下げる点です。
| 比較点 | 漫画版 | 原作小説 |
|---|---|---|
| 制作 | 漫画・尾羊英 | 著・中村颯希、イラスト・ゆき哉 |
| 感情表現 | 表情、視線、姿勢、コマの間 | 地の文、心情、人物の認識 |
| 世界観 | 衣装や建物、身分差を視覚化 | 家同士の関係や制度を詳しく説明 |
| 読み心地 | 人物関係と見せ場をつかみやすい | 情報量が多く、伏線を追いやすい |
| 単行本要素 | 描き下ろし漫画や小冊子が付く巻もある | 書籍化時の加筆や書き下ろしを含む |
| 既刊数 | 第10巻まで | 第12巻まで |
漫画第10巻と原作第10巻が、同じ内容を収録しているわけではありません。
漫画は小説の一場面を複数ページに広げ、視線、沈黙、動作の変化まで描くため、巻数の進み方は原作より緩やかになります。
なお、一迅社の公式作品ページでは「漫画の何巻が原作の何巻に対応するか」という一覧は公開されていません。
収録範囲は章の途中で区切られる場合もあるため、漫画の続きから原作へ移る人は、漫画最新巻の章名や登場人物を原作各巻のあらすじと照らし合わせる必要があります。。
漫画版ならではの表情と姿勢
漫画版最大の強みは、玲琳と慧月の人格を顔の造形ではなく、表情や姿勢で描き分けていることです。
身体が入れ替わっているため、外見だけを見れば、中にいる人物が玲琳なのか慧月なのか判断しにくくなるはずです。
しかし尾羊英先生の漫画では、玲琳が入った身体は目線が開き、動作にも迷いが少ない。
慧月が入った身体には、警戒、緊張、他人の反応を恐れる気持ちがにじみます。同じ顔でも、視線の置き方や背筋の伸び方で別人に見えてくるんです。
特に第1巻から第4巻にかけては、慧月の身体となった玲琳が、周囲から冷遇されても堂々と行動する姿が印象的です。
外見は嫌われていた慧月のままなのに、コマの中央へ迷いなく立つ玲琳を見ていると、身体に染みついていた「縮こまる理由」が少しずつ押し流されていくように見えます。
そして物語が進むと、慧月自身の立ち姿にも変化が現れます。
背筋一本、視線一つで、それまで自分を恥じていた少女が「自分として立つ」方向へ進んだことを伝えてくる。漫画版は、この小さな変化を説明より先に読者へ感じさせます。

原作小説で深まる玲琳の鋼メンタル
原作小説では、玲琳の異常なほど前向きな行動が、単純な天然や楽観ではないことを詳しく読めます。
玲琳は苦しみを知らないから明るいのではありません。
幼い頃から病弱で、死を身近に感じてきたからこそ、健康な身体で過ごせる一瞬を無駄にしません。
処刑を告げられても動じない姿だけを見ると、危機感の薄い主人公にも見えるでしょう。
しかし彼女にとって死は、突然現れた未知の恐怖ではありません。ずっと隣にあったものです。
だからこそ、「まだ生きていて、身体を動かせるなら何かをしたい」という覚悟が生まれています。
漫画では、この精神力が輝く表情や勢いのある動きとして伝わります。
原作では、その行動へ至る思考や過去を文章で追える。漫画で心臓をつかまれ、原作でその握力の正体を知るような関係です。
漫画単行本の描き下ろし要素
漫画単行本には、本編のコミカライズに加え、巻によって描き下ろし漫画、書き下ろしSS、小冊子などが用意されています。
第10巻には通常版だけでなく、小冊子付き特装版もあります。特装版や店舗特典は販売期間や在庫が限られる場合があるため、現在の取り扱いは各販売店の表示を確認してください。
こうした追加要素は、本編を別の内容へ改変するものではありません。
事件の合間にある人物同士の交流や、本編とは少し違う題材を通して、玲琳や慧月たちの魅力を補うものです。
連載版だけでも物語は追えます。
ただ、人物同士の距離感まで味わいたい人にとって、単行本の描き下ろしは「事件が起きていない時間にも、この人たちは生きている」と感じられる貴重な部分です。
『ふつつかな悪女ではございますが』漫画10巻までの流れは?
『ふつつかな悪女ではございますが』漫画版の展開は、10冊を一巻ずつ細かく説明するより、第1~4巻、第5~8巻、第9~10巻の三つに分けると把握しやすくなります。
先の事件名を詳しく書くと驚きが薄れるため、ここでは大きな流れだけを整理します。
漫画1巻から4巻の入れ替わり編
漫画第1巻から第4巻付近では、玲琳と慧月の身体交換と、乞巧節をめぐる事件が中心になります。
慧月の身体となった玲琳は、自分を襲った犯人として処刑を告げられます。
それでも健康な身体を喜び、冷遇されている環境の中でできることを始める。玲琳が周囲の想定する「嫌われ者の慧月」とはまったく違う行動を取るため、雛宮の人間関係にも変化が生まれます。
同時に、玲琳の身体を得た慧月は、憧れていた玲琳の暮らしが苦痛と隣り合わせだったことを知ります。
この範囲は、入れ替わりの面白さ、玲琳の痛快さ、慧月の葛藤という作品の核を一気につかめる部分です。
漫画5巻から8巻の外遊編
漫画第5巻以降は、物語の舞台が雛宮の外へ広がります。
玲琳と慧月の関係だけでなく、各家の事情、地域の問題、宮廷を取り巻く人々の思惑が絡み、後宮ファンタジーとしての規模が一段大きくなります。
雛宮の中では、二人の評判や妃争いが重要でした。
外へ出ると、身分の異なる人々や別の土地が抱える事情にも向き合うことになります。玲琳の前向きさが、目の前の一人だけでなく、集団や社会へどのような影響を与えるのかが見えてくる区間です。
第8巻付近で「はじめての外遊編」が大きな区切りを迎えます。
ここまで読むと、玲琳は単に逆境に強い主人公ではなく、周囲の価値観まで揺さぶる人物なのだと分かります。
漫画9巻から10巻の終の儀
漫画第9巻から第10巻では、雛女たちの関係と「終の儀」をめぐる動きが重要になります。
玲琳と慧月は、入れ替わったばかりの頃よりも互いを理解しています。
ところが、理解が深まったからこそ、相手を守ろうとする判断がぶつかる。何も知らなかった頃の対立とは違い、「分かっているのに届かない」という苦しさが生まれます。
第10巻では二人の対立がさらに深まり、玲琳の危機へつながっていきます。
いやもう、最初の二人なら「また争っている」で終われたかもしれない。でも積み上げてきた信頼を知っている読者には、すれ違いの一言が雷みたいに落ちてくるんです。
『ふつつかな悪女ではございますが』漫画の魅力と考察
『ふつつかな悪女ではございますが』漫画版について、俺は玲琳の爽快感で読者を引き込み、慧月が自分を作り直す姿で物語を深くする作品だと考えています。
入口で最も目立つのは玲琳です。
処刑目前なのに健康な身体を喜び、冷遇されても生活を改善し、周囲の敵意すら行動で揺らしていく。玲琳を見ていると、心臓にエスプレッソをぶち込まれたような勢いをもらえます。
ただし、物語が長く心へ残る理由は、玲琳の痛快さだけではありません。
慧月が、自分の劣等感、他人を傷つけた事実、玲琳へ抱いた感情と向き合うからです。
玲琳の強さは前向きさだけではない
玲琳の強さを「どんな状況でも前向きなら大丈夫」という話に置き換えるのは違うと、俺は考えます。
彼女の精神力は、病弱な身体で生きてきた経験から生まれたものです。
自由に動けない日々があった。
明日も生きているとは限らない感覚があった。
だから健康な身体で立てること、歩けること、誰かを助けられることを当然だと思わない。
玲琳は逆境を無視しているのではなく、逆境の中に残された可能性を見つける速度が異常に速いんです。
漫画版では、その判断の速さがコマのテンポと表情に現れます。
周囲が絶望を理解するより先に、玲琳が次の行動へ移っている。読者は説明を読んで納得する前に、彼女の生命力へ巻き込まれます。
慧月の再生は過ちを消さずに描かれる
慧月は、玲琳への感情から禁じられた術を使い、身体を奪いました。
その行動は、つらい過去があったからといって消えるものではありません。
本作が信頼できるのは、慧月を「本当はかわいそうな子だった」と説明して、すべてを水に流さないところです。
慧月自身が傷ついていたこと。
慧月が他人を傷つけたこと。
その両方を残したまま、別の行動を選ぶ可能性を描きます。
人は過去をなかったことにはできません。
しかし、自分の過ちを知り、次の場面で以前とは異なる選択をすることはできる。その小さな選択が積み重なり、表情や姿勢まで変えていきます。
玲琳の派手な逆境突破に笑っていた読者が、いつの間にか慧月の小さな一歩へ息を止めている。
この感情の移動こそ、漫画版の大きな魅力です。
外見が変わっても本人を見抜けるか
本作では、玲琳と慧月の身体が入れ替わっています。
顔、声、家柄、周囲からの呼び名は、身体の持ち主に結びついたままです。
それでも、玲琳がどのように笑い、誰を気遣い、苦境で何を選ぶ人物なのかを知っている人は、外見と中身のずれへ近づいていきます。
これは恋愛だけの話ではありません。
家族、主従、友情を含め、「その人の何を見ていたのか」が問われています。
美しい玲琳だから愛したのか。
黄家の雛女だから敬ったのか。
それとも、玲琳が玲琳として積み重ねてきた言葉や行動を見ていたのか。
外見が変わっても本人へたどり着けることが、最大級の信頼として描かれる。
入れ替わり作品の醍醐味が、ここに全部詰まっています。
入れ替わり後の二人は元には戻れない
俺が本作で最も重要だと感じるのは、身体が元へ戻ったとしても、二人の認識までは入れ替わり前へ戻らない点です。
慧月は、玲琳の身体が抱えていた苦痛を知りました。
玲琳は、慧月の姿で向けられる冷たい視線を知りました。
知識として聞くのと、自分の身体で経験するのは違います。
一度でも相手の痛みを自分の問題として味わえば、以前とまったく同じ目で相手を見ることはできません。
身体交換は、解消すべき異常事態です。
同時に、二人の価値観を後戻りできない形で変える出来事でもあります。
俺は、この不可逆性が作品の芯だと考えています。
入れ替わりは二人から多くのものを奪いました。
それでも、自分の身体だけで生きていた頃には見えなかった世界を与えた。だから物語は「元に戻ればすべて解決」では終わらないんです。
『ふつつかな悪女ではございますが』漫画と原作はどちらから読む?
初めて『ふつつかな悪女ではございますが』へ触れるなら、人物関係を視覚的につかみやすい漫画第1巻から読む方法が向いています。
玲琳と慧月は身体が入れ替わるため、序盤では「どちらの身体に誰が入っているのか」を整理する必要があります。
漫画なら衣装、表情、周囲の呼び方を見ながら読めるため、入れ替わり後の状況を理解しやすいでしょう。
読み方の目安は次のとおりです。
個人的には、漫画を読んでから原作を第1巻から読む順番を推します。
漫画で玲琳と慧月の表情や姿勢を記憶した後に原作へ進むと、文章で描かれる内面へ具体的な像を重ねられるからです。
反対に原作から漫画へ進めば、「この長い心情を、この視線一つで表したのか」と演出を発見できます。
漫画は感情を目で受け取る媒体。
原作は、その感情が生まれた理由へ潜っていく媒体です。
どちらかが完全版という関係ではなく、同じ出来事を異なる距離から見せてくれます。
『ふつつかな悪女ではございますが』漫画のよくある質問
『ふつつかな悪女ではございますが』漫画版について、巻数や連載状況など、読み始める前に気になりやすい点を整理します。
- Q漫画は何巻まで発売されている?
- A
2026年7月16日時点では、漫画単行本第10巻まで発売されています。
第10巻の発売日は2026年3月31日で、通常版と小冊子付き特装版が刊行されました。
- Q漫画第11巻の発売日はいつ?
- A
漫画第11巻の発売日は、2026年7月16日時点では公式発表を確認できません。
作品の連載は続いていますが、発売時期を刊行間隔だけで断定することはできません。続刊情報は一迅社や月刊コミックZERO-SUMの最新案内を確認してください。
- Q漫画版の作者は誰?
- A
漫画は尾羊英先生、原作は中村颯希先生、キャラクター原案はゆき哉先生です。
一迅社の「月刊コミックZERO-SUM」に掲載され、ゼロサムオンラインにも作品ページがあります。
- Q原作小説は何巻まで発売されている?
- A
原作小説は、第12巻まで発売されています。
第12巻は2026年3月31日発売で、公式には物語がクライマックス直前へ進む巻として紹介されています。
- Q漫画は完結している?
- A
漫画版は第10巻で完結していません。
ゼロサムオンラインに連載作品として掲載されており、現在は第11巻以降の単行本情報を待つ状態です。
- Qアニメはいつから放送されている?
- A
テレビアニメは、2026年7月12日23時45分からテレ東系列で放送が始まりました。
アニメから作品へ入った人も、漫画では表情や伏線を自分の速度で確認できます。放送日時や配信状況は変更される場合があるため、最新情報はアニメ公式サイトで確認してください。
『ふつつかな悪女ではございますが』漫画情報のまとめ
『ふつつかな悪女ではございますが』漫画版は、2026年7月16日時点で第10巻まで発売中です。
最新10巻は2026年3月31日に通常版と特装版が発売されました。漫画第11巻の発売日はまだ公式発表されておらず、原作小説は第12巻まで刊行されています。
物語は、黄家の雛女・玲琳と朱家の雛女・慧月が身体を入れ替え、慧月の姿となった玲琳が自分を襲った罪で処刑目前となるところから始まります。
漫画版の魅力は、玲琳の鋼メンタルによる痛快な逆転だけではありません。
慧月が自分の過ちと向き合い、視線や姿勢まで変えていく過程を、尾羊英先生の絵で追える点にあります。
玲琳の爽快さで笑い、慧月の小さな一歩に息を止める。
そして外見が変わっても本人を見つけてくれる関係に、胸を撃ち抜かれる。『ふつつかな悪女ではございますが』漫画版、読み始めたら二人の行く末を見届けずにはいられないぞ。
※刊行状況、発売日、連載情報は2026年7月16日に、一迅社ノベルス作品ページ、一迅社発売カレンダー、月刊コミックZERO-SUM作品ページ、ゼロサムオンライン、テレビアニメ公式サイトの掲載内容を確認しています。価格、特典、在庫、無料公開範囲は変更される場合があります。
執筆:神楽 颯|『KAGURA-ROOM』アニメ熱弁系SEOレビューライター








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